難関また難関

social justice

宋厚廣の証し

『恩雨の声 香港版』より抜粋

宋厚廣さんはカンボジアの裕福な家庭に生まれましたが、若い頃に大虐殺という恐ろしい時代を経験しました。当時、毎日の仕事は遺体の処理であり、死と恐怖に満ちた生活でした。戦争の混乱の中で、何度も死の淵から逃れ、空輸の仕事中に飛行機事故で命を落としかけたこともありました。

激動の歳月の中、宋厚廣さんは名前を変えさせられ、労働改造を経験し、毎日二杯の粥しか食べられず、苦しい労働を強いられました。子供に鞭で打たれたり、毒蛇に噛まれたりしながらも、川の水と根性で危機を乗り越えました。これらの経験は、命の儚さと人間の無力さを深く実感させました。

戦争が終わった後、宋厚廣さんは家族とともにベトナムへと転々とし、難民となって苦しい生活を送りました。娘は栄養失調で入院し、期限切れの生理食塩水で命を救われました。神の導きに感謝し、一家は無事にカナダへ移住することができました。

カナダでの生活中、妻は何度も流産し、腹痛に悩まされ、最終的には直腸癌の末期と診断されました。妻の病と向き合い、宋厚廣さんは心身ともに疲れ果てましたが、神に頼り、祈り続けました。妻の手術は成功し、長期の化学療法と放射線治療を受けながらも、家族は信仰を守り、互いに支え合いました。

弟は18歳で突然脳に問題が発生し、医師から余命一週間と宣告されました。宋厚廣さんはすべてを捨てて弟に寄り添い、牧師が訪れて福音を伝え、弟は臨終前に主を受け入れ、安らかに旅立ちました。この経験は、神の臨在と慰めを深く感じさせました。

信仰を持った後、宋厚廣さんは人生の重荷が軽くなり、解放されたと感じました。人生の苦しみや困難はすべて神の導きであり、蛇に噛まれたり、釘で打たれたり、斧で傷つけられたり、家族の病や死に直面しても、神の守りに感謝し続けました。

妻の闘病中、宋厚廣さんは毎日病院に付き添い、神の恵みを目の当たりにしました。謙虚さと奉仕の心を学び、愛は損得を計算するものではなく、誠実な心からの奉仕であることを理解しました。死を前にしても、神がすべてを支配していることを知っているので、恐れはありません。

宋厚廣さんは、人生のすべては自分でコントロールできるものではなく、神の導きに感謝すべきだと信じています。異国の地での晩年も、神が彼を用いてくださることを願い、彼の人生が証しとなり、キリストの愛を流すことを望んでいます。

宋厚廣さん夫妻は数々の難関を乗り越え、恨みを持たずに歩み続けています。イエス・キリストの愛が心に流れ、神の愛が彼らを癒しました。この信仰が、困難の中でも感謝と希望を持って生きる力となっています。

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