神様と私の同行

朱蘇玉虹(Wandy)の証し

『恩雨の声 香港版』より抜粋

朱蘇玉虹さんは広州で生まれ、16歳の時に父親とともにパナマへ移住しました。言葉も文化も異なる新しい土地で、孤独と不安に悩みながらも、「勉強を頑張り、言語を習得する」という目標を掲げ、努力を重ねました。中国にいた頃、香港の従姉妹から福音を聞き、夜の不安な時にはイエス様に祈ることで心の平安を感じるようになりました。パナマでは友人の誘いで教会に通い始め、1996年に信仰を持ち、教会で成長していきました。

大学時代に現在の夫と出会い、卒業後は二人で起業し、厳しいビジネスの世界に飛び込みました。現地の労働文化は緩く、誠実さや規律を保つことが難しい中、彼女と夫は勤勉さと誠実さを大切にし、休日も働くことが多かったそうです。しかし、信仰を持ってからは、主日には仕事を休み、安息日を神様に捧げるようになりました。

商売の道では、困難と同時に神様の恵みも多く経験しました。ある時、店舗の入口が工事で塞がれ、水漏れで商品が損傷するなど、収入が減ると思われた状況でも、予想外に売上が維持され、むしろ増えたこともありました。移転先を探していた際も、何度も交渉がうまくいかず、偶然出会ったインド系のオーナーとの信仰の会話を通じて、二つの店舗を一つ分の価格で購入できるという奇跡的な出来事がありました。朱さんは「この取引の結果は、過去10年の努力以上のもので、神様の不思議な導きだ」と語っています。

家庭面でも、神様の守りを深く体験しました。洗礼を受ける準備中に長女を妊娠しましたが、胎盤の問題で大量出血し、医師から長期間の安静を指示されました。教会の仲間たちが絶えず訪問し、祈りを捧げてくれたことで、彼女の心は支えられ、最終的に無事に娘を出産することができました。その後、流産の悲しみも経験しましたが、「なぜ」と問う気持ちも祈りに変え、神様の御心に委ねました。

2013年、再び妊娠した際、胎児がダウン症の疑いがあると診断されました。医師は精度の高い検査を勧めましたが、朱さん夫妻は「遺伝子が変えられないなら、変えることのできる神様に委ねよう」と決断し、追加検査を受けませんでした。彼女は「もし神様がこの子を用いるなら、全てを捧げます」と祈り、息子に「John Samuel(神が与え、神が聞いてくださる)」と名付けました。

出産直前、羊水過多で緊急入院し、息子は新生児呼吸窮迫症候群と診断され、集中治療室で治療を受けました。高額な医療費が心配されましたが、政府病院では一切費用がかからず、家族は祈りを通して神様の守りを実感しました。息子は奇跡的に回復し、今では健康で聡明な少年に成長しています。

コロナ禍では、都市封鎖や売上減少などの困難もありましたが、家族で祈り合い、神様の恵みが常に十分であることを学びました。

朱蘇玉虹さんは、異国での学び、仕事、家庭、そして数々の試練の中で、神様が細部にまで導いてくださることを何度も体験しました。困難の中でも、神様に委ねることで、驚くべき恵みと平安を受け取ることができる――彼女の証しは、私たちに「どんな状況でも神様は共に歩んでくださる」と力強く語りかけてくれます。

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