はじめに
聖書は、キリスト教とユダヤ教の根幹を成す重要な宗教的文献です。旧約聖書と新約聖書という二つの大きな部分から構成されており、それぞれが独特の歴史的背景と宗教的意義を持っています。これらの聖書は単なる古代の文書ではなく、現代においても世界中の数億人の信仰の基盤となり、文化や芸術、法律、倫理観に深い影響を与え続けています。
聖書の構成と基本概念
聖書は「旧約聖書」と「新約聖書」の二つの部分から成り立っています。「約」という言葉は「契約」を意味し、神と人間との関係を表現する重要な概念です。旧約聖書は神がイスラエルの民と結んだ「旧い契約」の歴史を描き、新約聖書は神が人類のために送り給うた「約束の救い主」イエス・キリストによる新しい契約を記しています。
旧約聖書は39冊の書物から構成され、律法、歴史、預言、詩、文学などの多様なジャンルを含んでいます。一方、新約聖書は27冊の書物で構成され、福音書、教会の歴史、使徒の手紙、預言書などが含まれています。これらの文書は長期間にわたって多様な著者によって書かれながらも、驚くべき一貫性を持っているのが特徴です。
契約の概念と宗教的意義
契約という概念は、聖書全体を貫く中心的なテーマです。旧約聖書では、神がアブラハム、イサク、ヤコブといった先祖たちと結んだ契約から始まり、モーセを通して与えられた律法、そしてダビデ王との王室契約まで、様々な形の契約が描かれています。これらの契約は、神の民としてのアイデンティティと責任を定義する重要な要素となっています。
新約聖書では、イエス・キリストの十字架の死と復活によって実現された新しい契約が中心テーマとなります。この新しい契約は、律法による義ではなく、恵みと信仰による救いを提供するものとして描かれています。旧約と新約は切り離せず、互いに関連し合っているのが聖書の大きな特徴であり、新約は旧約の預言の成就として理解されています。
世界文化への影響
聖書の知識は、世界の歴史や文化を理解する上で欠かせないものといえるでしょう。西欧文明の基盤となっただけでなく、文学、芸術、音楽、建築などの様々な分野に深い影響を与えてきました。シェイクスピアの作品から現代の映画まで、聖書の物語や教えは無数の創作活動のインスピレーションの源となっています。
また、聖書は人権思想や社会正義の概念の発展にも重要な役割を果たしました。すべての人間が神の像として創造されたという教えは、人間の尊厳と平等の基礎となり、奴隷制度廃止運動や公民権運動などの社会変革にも大きな影響を与えました。現代においても、環境問題や貧困問題など、様々な社会課題に対する倫理的指針として参照され続けています。
旧約聖書の世界

旧約聖書は、古代オリエント世界の文化的背景の中で形成された、イスラエル民族の信仰と歴史の記録です。約1000年という長い期間をかけて完成されたこの文書群は、神の創造から始まり、人類の堕落、選民の召命、律法の授与、王国の興亡、そして救世主の到来の預言まで、壮大な救済史を描いています。
創造から族長時代まで
旧約聖書の冒頭を飾る創世記は、神による天地創造の物語から始まります。この創造物語は、古代近東の他の創造神話とは一線を画し、唯一の神による秩序ある創造を描いています。人間は神の像として創造され、特別な地位を与えられましたが、罪により神との関係が破綻し、楽園を追放されることになります。この堕落の物語は、人間の本質的な問題と救済の必要性を示す重要な序章となっています。
アブラハム、イサク、ヤコブといった族長たちの物語は、神の選びと約束の展開を示しています。アブラハムに与えられた「地上のすべての民族があなたによって祝福される」という約束は、後の救済史全体の基盤となります。これらの物語は単なる歴史記録ではなく、信仰と従順、そして神の忠実さを教える信仰の模範として機能しています。族長時代の物語は、個人的な神との関係から始まり、やがて民族全体の運命へと発展していく救済史の重要な段階を表しています。
出エジプトと律法の授与
エジプトでの奴隷状態からの解放は、旧約聖書において最も重要な救済の出来事の一つです。モーセを通して行われた十の災いと紅海の奇跡は、神の力と救済への意志を劇的に示しています。この出エジプトの出来事は、後のイスラエルの信仰の基礎となり、神の救済行為の原型として常に回想されることになります。過越の祭りなど、多くの宗教的祭儀がこの出来事を記念するものとして制定されました。
シナイ山での律法の授与は、イスラエル民族を神の民として確立する決定的な出来事でした。十戒を中心とする律法体系は、宗教的な規定だけでなく、社会的・倫理的な規範も含む包括的な生活指針でした。しかし、人間はその律法を完全に守り切れず、神の怒りを買い続けることになります。この律法の限界は、後に新約聖書で語られる恵みによる救いの必要性を示す重要な前提となっています。律法は罪を明らかにし、救世主への憧憬を呼び起こす役割を果たしました。
王国時代と預言者たち
サウル、ダビデ、ソロモンによって確立された王国時代は、イスラエル史の黄金期とされています。特にダビデ王は、理想的な王として描かれ、後のメシア(救世主)の預言的な原型となりました。ダビデとの契約において、神は永遠の王座を約束し、これが後のイエス・キリストに対するメシア的期待の基盤となります。ソロモンの知恵と栄華、そして神殿の建設は、神の祝福の具体的な現れとして記録されています。
しかし、王国の分裂と堕落は、人間の指導者の限界を露呈しました。この時代に活動した預言者たちは、社会正義の実現と真の悔い改めを求め、将来の救世主の到来を預言しました。イザヤ、エレミヤ、エゼキエルなどの大預言者たちは、神の裁きと救済の両面を語り、「苦難の僕」や「新しい契約」といった、後に新約聖書で成就される重要な概念を提示しました。預言者たちの働きは、律法学者とは異なる霊的な洞察を提供し、宗教の内面化と個人的な神との関係を重視する傾向を生み出しました。
捕囚と帰還の経験
バビロン捕囚は、イスラエル民族にとって信仰の危機であると同時に、信仰の純化をもたらした重要な出来事でした。故郷を離れ、神殿を失った状況で、彼らは神の普遍性と霊的な礼拝の重要性を学びました。この時期に会堂礼拝の形式が発達し、後のユダヤ教の基盤が形成されました。また、この経験は神の主権と救済計画への深い信頼を生み出し、苦難を通しての信仰の成長という重要な神学的テーマを提供しました。
ペルシア王キュロスによる解放と帰還は、神の救済の確実性を示す出来事として記録されています。神殿の再建とエズラ・ネヘミヤによる宗教的・社会的改革は、律法に基づく共同体の再構築を目指すものでした。この時期に旧約聖書の正典化が進み、後のユダヤ教の基礎が確立されました。帰還後の共同体が直面した様々な課題は、より深い神学的反省と、メシア待望の高まりをもたらしました。
新約聖書の世界

新約聖書は、旧約聖書で約束されていた救世主イエス・キリストの到来とその教えを中心に据えた文書群です。約50年という比較的短い期間で完成されたにも関わらず、その内容は旧約聖書の預言の成就として位置づけられ、神と人間との新しい契約の実現を詳細に記録しています。新約聖書の世界は、ヘレニズム文化とローマ帝国の政治的背景の中で展開され、ユダヤ教の伝統を継承しながらも革新的な宗教運動として発展していきました。
イエス・キリストの生涯と教え
四つの福音書は、それぞれ異なる視点からイエス・キリストの生涯を描いています。マタイの福音書は、旧約聖書からの引用が多く、最もユダヤ的な書として知られており、イエスが旧約聖書で約束されていたメシヤ(救い主)であることを強調しています。マルコの福音書は最も簡潔で行動中心の記述を特徴とし、ルカの福音書は異邦人への配慮と社会的弱者への関心を示し、ヨハネの福音書は神学的深さと霊性を重視した内容となっています。
イエスの教えは伝統的なユダヤ教の教えとは大きく異なり、律法学者たちから批判を受けました。しかし、その教えの核心は愛の法則であり、神への愛と隣人への愛を最も重要な戒めとして提示しました。山上の説教で示された「心の貧しい者は幸いである」という八福の教えや、「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」という革新的な倫理観は、従来の報復の法則を超越した新しい道徳観を提供しました。これらの教えは、外面的な律法の遵守よりも内面的な心の変革を重視するものでした。
十字架の死と復活の意義
イエスの十字架での死は、新約聖書において最も重要な出来事として位置づけられています。この死は単なる殉教ではなく、人類の罪のための代償的な犠牲として理解されています。旧約聖書の犠牲制度が指し示していた真の犠牲が、イエス・キリストにおいて実現されたのです。パウロの神学では、この十字架の死によって神の義と愛が同時に表現され、信仰によってのみ義とされるという救済の道が開かれたとされています。
復活の出来事は、キリスト教信仰の根幹を成す超自然的な出来事として記録されています。この復活は、イエスの神性の最終的な証明であり、信者の将来の復活の保証でもあります。復活によって死の力が打ち破られ、永遠の命への道が開かれました。この復活の信仰は、初代教会の宣教の中心メッセージとなり、迫害や困難に直面した信者たちの希望の源となりました。復活の現実は、単なる死後の存在ではなく、変革された新しい存在様式を示すものとして理解されています。
初代教会の形成と発展
使徒行伝に記録されている初代教会の誕生と発展は、小さなユダヤ人の宗教運動が世界的な宗教となる過程を描いています。ペンテコステの出来事から始まった教会は、エルサレムからユダヤ全土、そ してサマリア、さらには地の果てまで福音を伝える使命を帯びていました。初代教会の特徴は、共有財産制、日々の祈りと交わり、貧しい者への配慮などにあり、理想的な宗教共同体のモデルを提示しました。
パウロの宣教旅行は、キリスト教が地中海世界全体に広がる決定的な要因となりました。パウロは異邦人への使徒として召され、ユダヤ教の枠を超えたキリスト教の普遍性を確立しました。彼の神学的貢献は、律法と恵み、信仰と行い、ユダヤ人と異邦人の関係など、後のキリスト教神学の基本的な枠組みを提供しました。パウロの教会論では、キリストの体としての教会という概念が導入され、多様性の中の一致という重要な原理が示されました。
使徒たちの手紙と教え
新約聖書の書簡文学は、初代教会が直面した様々な実践的・神学的課題への応答として書かれました。パウロの書簡は、ローマ書からピレモン書まで13通(または14通)あり、それぞれ異なる教会の状況に応じた教えを含んでいます。ローマ書は最も体系的な神学的論述を含み、コリント書簡は教会内の問題への実践的な指導を提供し、ガラテヤ書は律法と恵みの関係について明確な立場を示しています。
公同書簡(ヤコブ書、ペテロの手紙、ヨハネの手紙、ユダの手紙)は、特定の教会宛てではなく、教会一般に向けられた書簡です。これらの書簡は旧約聖書とは直接的な関係性が薄く、むしろキリスト教倫理の実践的側面を強調しています。ヤコブ書は信仰と行いの関係を論じ、ペテロの手紙は迫害下での信仰の堅持を勧め、ヨハネの手紙は愛の実践を強調しています。これらの多様な書簡は、初代教会の豊かな神学的多様性を示しながらも、キリストを中心とした信仰の一致を保持していました。
両聖書の関係性と連続性

旧約聖書と新約聖書の関係は、単なる時代的な前後関係ではなく、深い神学的・救済史的な連続性に基づいています。新約聖書は旧約聖書を前提とし、その預言の成就として自らを位置づけています。同時に、旧約聖書は新約聖書の光の下で新しい意味を獲得し、より深い理解が可能となります。この相互補完的な関係は、聖書全体を一つの統一された神の啓示として理解する基盤となっています。
預言と成就の関係
新約聖書の著者たちは、イエス・キリストの生涯と働きを旧約聖書の預言の成就として理解し、提示しました。処女降誕、ベツレヘムでの誕生、ガリラヤでの宣教活動、十字架での死、復活など、イエスの生涯の主要な出来事は旧約聖書の預言と関連づけられています。特にイザヤ書53章の「苦難の僕」の預言は、キリストの受難の预型として詳細に引用され、解釈されています。この預言と成就の関係は、神の救済計画の一貫性と確実性を示す重要な証拠とされました。
メシア預言の成就は、新約聖書の中心的なテーマの一つです。ダビデの子孫として来るメシア、平和の君、インマヌエル(神われらと共にいます)などの称号は、すべてイエス・キリストにおいて実現されたとされています。しかし、この成就は当時のユダヤ人の期待とは異なる形で実現されました。政治的・軍事的な解放者としてのメシア像ではなく、霊的な救いをもたらす苦難の僕としてのメシア像が実現されたのです。この違いは、神の救済計画の深さと、人間的な期待を超越した神の知恵を示しています。
律法と恵みの関係
旧約聖書の律法と新約聖書の恵みの関係は、キリスト教神学の最も重要な課題の一つです。パウロの神学では、律法は罪を明らかにし、キリストへと導く養育係の役割を果たしたとされています。律法によっては誰も義とされることはできませんが、律法は神の聖なる意志を表現し、人間の罪深さを暴露する重要な機能を持っていました。この律法の限界が、信仰による義認という新しい救いの道の必要性を明らかにしたのです。
しかし、恵みによる救いは律法を無効にするものではありません。イエス自身が「律法を廃棄するためではなく成就するために来た」と語っているように、新約の恵みは律法を完成させるものです。愛の法則は律法の精神を完全に表現し、外面的な規則の遵守から内面的な心の変革へと焦点を移しています。この関係において、旧約の道徳的教えは依然として有効であり、キリスト者の生活の指針となっています。ただし、その動機が恐れから愛へ、義務から感謝へと変化しているのです。
契約神学の発展
契約という概念は、旧約聖書から新約聖書へと一貫して流れる重要な神学的テーマです。アブラハム契約、モーセ契約、ダビデ契約などの旧約の諸契約は、それぞれ異なる側面から神と人間の関係を規定していました。これらの契約は条件付きの性格を持ち、人間の従順に依存する部分がありましたが、同時に神の一方的な恵みと忠実さにも基づいていました。新約聖書で語られる新しい契約は、これらの旧約の契約を完成させ、より完全な形で実現するものです。
エレミヤ31章に預言されている「新しい契約」は、心に書かれた律法と罪の完全な赦しを特徴とします。この新しい契約は、キリストの血によって批准され、聖霊の働きによって実現されます。旧約の外面的な律法に対して、新約では内面的な心の変革が強調されています。しかし、この新しさは旧約の廃棄ではなく、その完成を意味しています。契約の相手も、イスラエル民族から全人類へと拡大され、神の救済の普遍性が明らかにされました。
救済史の統一性
旧約聖書と新約聖書は、一つの統一された救済史を構成しています。この救済史は、人間の堕落から始まり、神の選びと召命、律法の授与、王国の確立、捕囚と回復、そしてキリストの到来と教会の誕生という段階を経て展開されます。各段階は独立しているのではなく、互いに有機的に関連し合い、最終的な救済の完成に向かって進行しています。この統一性は、聖書全体を貫く神の一貫した愛と義の性格によって保証されています。
救済史の観点から見ると、旧約聖書は影であり、新約聖書は実体であるという関係が成り立ちます。旧約の制度や出来事は、新約で実現される霊的現実の型や象徴として機能していました。過越の子羊はキリストの十字架を、大祭司の働きはキリストの仲保の働きを、神殿はキリストの体と教会を預表していました。このような予型論的理解は、旧約と新約の有機的な関係を示し、聖書全体の統一性を裏付けています。しかし同時に、旧約聖書はそれ自体で完結した意味を持ち、新約聖書の理解のためだけに存在するわけではないことも重要です。
神の性格の啓示と発展

聖書全体を通して、神の性格は段階的に、より豊かに啓示されてきました。旧約聖書では神の聖性、義、主権が強調される一方で、新約聖書では神の愛、恵み、慈悲がより明確に現われています。しかし、これは神の性格に変化があったということではなく、人間の理解が深まり、神の多面性がより完全に啓示されたことを意味しています。神は旧約時代においても愛の神であり、新約時代においても義の神なのです。
旧約における神の性格
旧約聖書における神は、まず何よりも聖なる神として描かれています。「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主」という表現に見られるように、神の聖性は他のすべての属性の基盤となっています。この聖性は、神と被造物との間の絶対的な区別を示し、神への畏敬の念と適切な礼拝の必要性を教えています。シナイ山での律法授与や神殿における礼拝規定は、すべてこの聖なる神に近づくための条件と方法を定めたものでした。
同時に、旧約聖書の神は義なる審判者としても描かれています。罪に対する神の怒りと審判は、神の道徳的完全性の現れです。ノアの洪水、ソドムとゴモラの滅亡、イスラエルに対する懲罰などは、すべて神の義の現れとして理解されます。しかし、この審判の神は無慈悲な神ではありません。「怒ることにおそく、恵み豊かであり」という表現や、ヨナ書に見られる神の憐れみは、審判の中にも愛が含まれていることを示しています。預言者たちは、神の怒りが永続的ではなく、悔い改める者に対する復興と祝福の約束を語りました。
新約における神の愛の啓示
新約聖書では、「神は愛である」(ヨハネの手紙第一4:8)という宣言に集約されるように、神の愛がより明確に啓示されています。この愛は、イエス・キリストの受肉、生涯、十字架の死において具体的に現われました。「神は、そのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに命を得させてくださいました。そのことに、神の愛が私たちに示されたのです」という言葉は、神の愛の究極的な表現を示しています。
しかし、新約聖書の神の愛は、単なる感情的な愛ではなく、犠牲的で自己犠牲的な愛(アガペー)です。この愛は、人間の価値や行いに基づくものではなく、神の性格から流れ出る無条件の愛です。「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださった」という表現は、この愛の無条件性を明確に示しています。この神の愛は、旧約聖書で語られていた契約の愛(ヘセド)の完全な実現でもあり、神の一貫した性格の最高の表現なのです。
義と愛の調和
十字架の出来事は、神の義と愛が完全に調和した場面として理解されています。神の義は罪を看過することができず、必ず審判を要求します。同時に、神の愛は罪人を救いたいと願っています。この一見矛盾する二つの属性は、キリストの代償的な死において完全に満たされました。キリストが人間の罪を負うことによって神の義の要求が満たされ、同時に罪人に対する愛による救いの道が開かれたのです。
この義と愛の調和は、旧約聖書と新約聖書の神の性格理解を統合する重要な鍵となっています。旧約の神が厳格で恐ろしい存在とされ、新約の神が愛と赦しを与える存在として対比されることがありますが、実際には同一の神が異なる側面から啓示されているのです。旧約においても神の慈愛と忍耐が語られ、新約においても神の聖性と義が強調されています。十字架において、これらの属性が完全に調和し、神の性格の全体像が明らかにされたのです。
三位一体の啓示
新約聖書は、旧約聖書では明確でなかった神の三位一体的性格を啓示しています。父なる神、子なるキリスト、聖霊という三つの位格が一つの神であるという理解は、新約聖書の神理解の重要な発展です。イエスのバプテスマの場面や、「父と子と聖霊の名によって」という宣教命令などは、この三位一体的な神の現れを示しています。この啓示は、神の内的な豊かさと、救済における三位格の協力的な働きを明らかにしています。
三位一体の教理は、神の愛の性格をより深く理解する助けともなります。神は永遠から愛の交わりを持つ三位一体の神であり、創造や救済は神の必要からではなく、神の愛の溢れからの自由な行為です。子が父を愛し、父が子を愛し、聖霊がその愛の交わりを完成するという関係は、人間に対する神の愛の原型となっています。また、救済における三位格の異なる役割(父の計画、子の実行、聖霊の適用)は、神の救いの完全性と確実性を保証しています。
現代への影響と意義

旧約聖書と新約聖書は、2000年以上前に書かれた古代の文書でありながら、現代社会においても深い影響力を持ち続けています。その影響は宗教的な領域にとどまらず、倫理学、法学、文学、芸術、社会思想、国際関係など、人間社会のあらゆる分野に及んでいます。グローバル化が進む現代世界において、聖書の普遍的なメッセージと価値観は、多様な文化的背景を持つ人々にとって共通の基盤となる可能性を秘めています。
現代倫理学への貢献
聖書が提示する倫理的価値観は、現代の道徳哲学や応用倫理学に重要な洞察を提供しています。特に、人間の尊厳という概念は、人権思想の基礎となり、現代の国際法や社会制度の根幹を成しています。「人間は神の像に創造された」という聖書の人間観は、人種、性別、社会的地位に関係なく、すべての人間が平等な価値を持つという思想の源泉となっています。この思想は、奴隷制度の廃止、女性の権利向上、障害者の人権保護など、様々な社会改革運動の原動力となってきました。
また、聖書の社会正義に対する関心は、現代の貧困問題、環境問題、経済格差などの課題に取り組む際の重要な指針となっています。旧約聖書の預言者たちが語った社会的弱者への配慮、公正な裁判、正直な商取引などの教えは、現代のビジネス倫理や社会政策においても重要な原則となっています。「隣人を自分のように愛せよ」という教えは、利己主義が蔓延する現代社会において、共同体の結束と相互扶助の重要性を示す普遍的な価値として機能しています。
文学と芸術への影響
聖書は、世界文学の最も重要な源泉の一つとして認識されています。ダンテの『神曲』、ミルトンの『失楽園』、ドストエフスキーの小説群、T.S.エリオットの詩作品など、西欧文学の傑作の多くは聖書の物語や思想から深いインスピレーションを得ています。現代においても、映画、小説、演劇などの分野で聖書のテーマは継続的に取り上げられ、新しい解釈と表現が試みられています。これらの作品は、宗教的信仰の有無に関係なく、人間の普遍的な体験と感情に訴えかける力を持っています。
視覚芸術の分野においても、聖書の影響は計り知れないものがあります。ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』、カラヴァッジョの宗教画など、西欧芸術史の頂点を成す作品の多くは聖書の場面を描いています。音楽においても、バッハの『マタイ受難曲』、ヘンデルの『メサイア』、モーツァルトの『レクイエム』など、クラシック音楽の不朽の名作が聖書をテーマとしています。これらの芸術作品は、宗教的文脈を超えて人類共通の文化遺産として大切に保存され、継承されています。
心理学と精神医学への貢献
聖書が扱う人間の内面世界や心理的葛藤は、現代の心理学や精神医学においても重要な洞察を提供しています。罪悪感、赦し、悔い改め、希望、愛といった概念は、心理療法やカウンセリングの分野で実践的な価値を持っています。特に、無条件の愛と受容という聖書の中心的メッセージは、自己肯定感の回復や人間関係の改善において重要な治療的要素となっています。
また、聖書が提示する苦難の意味と希望のメッセージは、トラウマ治療や危機介入において貴重な資源となっています。ヨブ記が描く理不尽な苦難への対処法、詩篇が表現する様々な感情の表出、パウロが語る「弱さの中に現れる強さ」という逆説的な真理などは、現代人が直面する精神的危機に対する実践的な知恵を提供しています。宗教的信仰を持たない人々にとっても、これらの洞察は人間理解と自己理解を深める有益な資源となっています。
国際関係と平和構築への影響
聖書の平和と和解のメッセージは、現代の国際関係や紛争解決において重要な指針となっています。「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」(イザヤ2:4)という預言や、「平和をつくる者は幸いです」(マタイ5:9)という教えは、軍縮と平和構築の理念的基礎となっています。また、「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」という革新的な教えは、報復の連鎖を断ち切り、真の和解を実現する可能性を示しています。
実際に、南アフリカのアパルトヘイト終結後の真実和解委員会や、北アイルランドの和平プロセスなど、世界各地の和解プロセスにおいて聖書の教えが重要な役割を果たしています。デズモンド・ツツ大主教やネルソン・マンデラのような指導者たちは、聖書の赦しと和解の教えを政治的・社会的実践に適用し、奇跡的な平和的移行を実現しました。これらの経験は、聖書のメッセージが現代の複雑な政治的・社会的課題に対しても実践的な解決策を提供できることを示しています。
まとめ
旧約聖書と新約聖書の関係性を探る旅を通じて、これらの古代文書が持つ驚くべき統一性と現代的意義を確認することができました。旧約聖書が示す神と人間の契約関係から始まり、新約聖書が告げるイエス・キリストによる新しい契約の実現まで、一貫した救済の物語が展開されています。この物語は単なる宗教的教義ではなく、人間の普遍的な体験と深い関わりを持つ生きた真理として、今日まで無数の人々に希望と導きを与え続けています。
現代世界が直面する様々な課題に対して、聖書は古びることのない知恵と洞察を提供しています。人間の尊厳、社会正義、平和構築、環境保護、倫理的リーダーシップなど、現代社会が求める価値観の多くは、実は聖書の中に深い根を持っています。宗教的信仰の有無に関係なく、聖書が人類の文化的遺産として持つ価値は計り知れないものがあり、その影響は今後も続いていくことでしょう。旧約聖書と新約聖書は、過去と現在、そして未来をつなぐ永遠の書として、人間の精神的な歩みを照らし続ける光となるのです。
